2008-01-01から1年間の記事一覧

86. 鎌倉時代の有名な古文書が 高神社にあるらしい。

高神社にある古文書によると、文永9年(1272年)の春、 高神社の本殿改築時に『宝堅(ほうかため)』の神事が行われ、 散楽の能が演じられたとあります。 この記録は、猿楽座の活動を物語る全国で最古級のものだそうです。【高神社文書 府指定文化財】 『ウ…

85. タマガワホトトギス(玉川杜鵑草)という花は、井手の山吹を例えて名付けられたらしい。

杜鵑(ホトトギス)科の黄金色の新種に対し、 『黄金色』を意味する『山吹』をイメージし、 歌枕に準じて 井手の玉川をなぞらえ、 玉川杜鵑(タマガワホトトギス)と命名されたそうです。 ちなみに井手で発見されたものではないそうです。 『ウワサ』の一覧

82. 多賀にも『殿井戸』とよばれる井戸があるらしい。

多賀東部区内に『殿井戸』または『殿ノ井』とよばれる古い井戸が残っています。 中世に存在したとされる多賀城の名残りと伝えられています。 『ウワサ』の一覧

83. 日本最古の歌集『万葉集』は、井手左大臣橘諸兄がつくったらしい。

現存する歌集で日本最古といわれる『万葉集』の編纂は、井手左大臣橘諸兄によるといわれています。 しかし、全20巻 約4500首もの大歌集であることから、 橘諸兄のもと大伴家持など複数の編者によるともいわれています。 『ウワサ』の一覧

84. 浮世絵で有名な喜多川歌麿が 井手玉川を描いているらしい。

江戸時代の浮世絵師の大家 喜多川歌麿が六玉川(むたまがわ)の版画を残している。 もちろん井手の玉川も描かれているそうです。 『ウワサ』の一覧

81. 六角井戸は『公の井戸』とよばれているらしい。

井手地区に残る六角井戸は『公の井戸』ともよばれていたそうです。 その意味を、『公=おおやけ』と読めば、住民みんなの井戸という意味でしょうし、 『公=こう』と読めば、位の高い人の井戸という意味になるでしょう。 『山城綴喜郡誌』によると六角井は『…

80. その昔、井手町にマンガン坑があったらしい。

主に第二次世界大戦中、製鉄や乾電池増産のため、 京都を中心に近畿地方でマンガンの採掘が増加した折、 井手町でも数ケ所で採掘されたそうです。 特に現在の休養村管理センターより東方の山間部にあったマンガン坑の規模は大きく トロッコを敷設しマンガン…

77. 才田山に、未確認の遺跡が眠っているらしい。

昔、付近で農作業すると、古瓦などがゴロゴロ出てきたそうです。 現在の地図と昔の絵図を比べると、山背大兄皇子の邸宅跡付近に思えます。 何かが眠っている可能性がありますね。 『ウワサ』の一覧

76. その昔、井手町から棚倉(木津川市山城町)へ続く 洞窟があったらしい。

その洞窟の存在は確認できませんでした。 しかし、井手町から木津川市山城町にかけての山間部で 多くのマンガン採掘がおこなわれていた事から、 地中で町を越えている可能性が否定できないとの説があり 将来の『課題』として掲載いたしました。 『ウワサ』の…

73. 江戸時代の絵師 狩野探信が井手の絵を描いているらしい。

狩野派の大家 狩野探信(1785〜1835)が井手の絵を描いているそうです。 その絵は、静岡県立美術館に保管されているそうです。 『ウワサ』の一覧

74. 井手城の城主は『井手新四郎』という名だったらしい。

井手の地侍(じざむらい)井手家の当主は代々『新四郎』を名乗ったそうです。 『平家追討』に戦功のあった井手新四郎感澄、 『承久の乱』に際し幕府方に参加した井手新四郎正利、 『弘安の役』で活躍した井手新四郎正意、 そして『山城国一揆時代』の井手新…

75. 玉水駅前にパチンコ屋があったらしい。

鉄道開通と玉水橋架橋により交通の要となった玉水を中心に、 井手は明治後期より急速に発展した。 戦後には玉水区と石垣区にもパチンコ店が出店。 最盛期には3店が営業。 最後は昭和28年の南山城水害まで、玉水駅前にパチンコ『アタリヤ』さんがあったそ…

72. 万葉集に井手町が詠まれているらしい。

日本最古の歌集『万葉集』の編集に尽力した井手左大臣橘諸兄の影響か、 万葉集の中に井手界隈を意味すると思われる歌がおさめられている。 中でもこの二首は、多賀の地を歌ったものとして知られている。 馬並めて 高の山辺を白たへに にほはしたるは 梅の花…

79. 京都の三名勝史跡庭園の一つ 南禅院庭園に、『井手の蛙』が放たれたらしい。

南禅寺発祥の地で、鎌倉時代末の代表的な庭園で、京都の三名勝史跡庭園の一つに指定される 南禅院庭園の 築庭当初(鎌倉時代)の記録に【井手の蛙を放った】とあるそうです。 この故事は、南禅院のパンフレットにも書かれています。 『ウワサ』の一覧

78.その昔、井手町で水車業が盛んだったらしい。

江戸時代、南山城地域に五ヵ所あった水車のうち四ケ所は、 井手の玉川にあったそうです。 当時の水車業は、『株』という権利を持つもの以外許されない事業でした。 年間を通して水量の安定する玉川の水車は、昭和28年の南山城水害まで稼働していたそうです。…

71. 愛媛県に、橘諸兄をまつる神社 『井手神社』があるらしい。

愛媛県松山市の『井手神社』は井手左大臣橘諸兄がまつられているそうです。 諸兄の孫橘清友が伊予国司となった際、当地に諸兄の神霊を祀ったとされています。 この神社は現在、別名『松山の天神さん』として親しまれているそうです。 現在の宮司さんは橘氏の…

70. 井手町のどこかに『金の鶏』が埋められているらしい。

その昔、橘諸兄が中国伝来の山吹と『金の鶏』を井手寺に納めていたが、 後に井手寺が攻められた時、敵から『金の鶏』の隠し場所を問われた当時の和尚が、 『朝日のあたる、夕陽のあたる紅の藤の株だ』と言い残したとか。 『ウワサ』の一覧

68. 歌人 吉井勇が、南山城水害のおり 井手の歌を詠んだらしい。

歌人・劇作家・小説家・脚本家として有名な 吉井勇(1886-1960)は、 昭和28年の南山城水害のおり 甚大な被害をうけた井手の様子を 歌に残しています。 くだつよは かなしきかなや いにしえの 井手の玉川 みるべくもなし(みる影もなし) 『ウワサ』の一覧

69. 『中坊』という姓は 井手町が発祥の地らしい。

『中坊』さんは、現在の井手町 上井手地区が発祥だそうです。 むかし井手寺の最盛期には、多くの『坊』があったとされ、その一部の坊の名が 姓として残ったのではないかといわれています。 全国的に有名な方もおられます。 『ウワサ』の一覧

67. その昔、小野小町が地蔵菩薩像を造って井出村に安置したらしい。

絶世の美女とされる小野小町は、多くの方から膨大な恋文(ラブレター)をもらったそうです。 しかし、ひとつも返事を返さなかったことから、人の恨みが我が身に積もって罰が当たらないよう、 供養の意味で その文殻を貼って地蔵菩薩像を造り、井出村に安置し…

66. 多賀 万灯呂山(大峰)の雨乞いの儀式は、戦前まで続いていたらしい。

古くから多賀の村では、日照りが続くと雨乞いの儀式をおこなったそうです。 『雨を司る神』とされ、龍王の滝にまつられていた祈雨神社(明治中期に高神社へ移転)から、 大峰(万灯呂山)山頂まで『たいまつ行列』をおこなうこの儀式は、戦前まで続いたそう…

65. 井手町のイベントが『探偵ナイトスクープ』に出たらしい。

毎年8月16日夜8時からおこなわれる、万灯呂山(井手町多賀大峰)の電飾の大文字が 平成8年、朝日放送(ABC)の『探偵ナイトスクープ』にとりあげられ放送されました。 山城大橋西詰め付近のマンションの住民から 『ありえない方向に大文字が見えた!…

64. 皇室の名宝に、 絵師 狩野探幽が描いた 井手玉川の 屏風がある らしい。

日本画の名派『狩野派』の大家である狩野探幽(かのうたんゆう・江戸時代)が描いた 『井手玉川』を題材とした屏風画が、皇室の名宝として残されている。 この屏風は、六面二双で、その右隻に藤原俊成の名歌 『駒とめて なほ水かはむ 山吹の 花の露そう 井手…

10. 『旧玉水橋では有名な映画が多数撮影された』らしい。

昭和28年の南山城水害で流失した 旧玉水橋は立派な木造橋であった。 そのため、映画撮影にも頻繁に使われ 地元では『玉水撮影所』とまで言われていたとか。 明治天皇も宿泊された旅館『酒太』などには、多くの映画監督や映画俳優が宿泊していたらしい。旧…

9. 全国で10個も無い平安時代作の梵鐘のうちの一つが『井手寺』の鐘らしい。

国内に現存する梵鐘で、平安時代作とされるもものは10個も無い。その中でも 国の重要文化財に指定されている『井手寺』の銘のある梵鐘は、平安時代前期の作とされ、その銘は 本来の【鋳型】に刻まれた文字であり梵鐘の表面にはっきりと浮かびあがっている…

8. 『井手寺の遺物が、高知県で文化財指定されている』らしい。

井手左大臣橘諸兄(たちばなのもろえ)が創建したと伝えられる『井手寺』の銘のある梵鐘が、 遠く高知県土佐市の正念寺に渡り、国の重要文化財に指定されている。この梵鐘は平安時代前期の作とされるが、平安時代作とされる梵鐘は 全国で10個も無い大変貴…

7. その昔『井手町に玉突き場(ビリヤード)があった』らしい。

昭和4年(1935年)ごろには、玉水に『玉突き場』今で言うビリヤード場があったらしい。 昼間から常連の集う場であったそうです。 最盛期には、玉水地区に2か所、石垣地区にも1か所の合計3ヵ所もあったそうです。 点数を数える専門職の方もおられたとか。 『…

6. その昔『井手町に有名な窯元があった』らしい。

日本の伝統的かつ代表的な陶器のひとつ、楽茶碗(らくちゃわん)で有名な 樂家の脇釜 『玉水焼』は 1600年代後半〜明治12年まで約200年続いた。 南楽家ともいわれる。 桃山時代、千利休に気に入られ、豊臣秀吉より名付けられた樂焼。 その陶家【樂家】四代一…

5. その昔『井手町に芝居小屋があった』らしい。

現在の玉水地区に 芝居小屋があったそうです。 玉水駅ができるまでは、現在の駅から西へ向かう道路(昔、ステーション通りと呼ばれたらしい)よりも 一本北側の道の方が本通であったそうで、芝居小屋『玉川座』もその通り沿いにあったそうです。 『ウワサ』…

4. その昔『井手町に映画館があった』らしい。

明治29年に鉄道が開通し、その後玉水駅前は南山城唯一の商店街として目ざましい発展をとげた。 木津川対岸からも多くの人が集まるため娯楽施設も発達し、芝居小屋や映画館もあった。 現在の井手郵便局の北西あたりにあったとされる芝居小屋『玉川座』で最初…