2009-04-01から1ヶ月間の記事一覧

117. 『井手』のことを『井堤』と書かれたこともあるが、実は 『井手』という書き方の方が古いらしい。

『井手』という字は古く、奈良時代から見られ、 『井堤』と言う字は、江戸時代以降に見られるらしい。 また、井手寺の事を円堤寺と書かれた時代があったが、 その読み方は『井デ寺』と振り仮名が打たれた国宝の古文書(東寺所蔵)の中から見つかったことによ…

118. 『やまぶき』の漢字は、『山吹』の他にもあるらしい。

大変難しい字ですが、このように書いて『やまぶき』と読むそうです。 特に『一重の山吹』を意味する字だそうです。 井手町にある『やまぶきの石碑』には、この漢字で刻まれています。 他にも『やまぶき』を意味し『やまぶき』と読む字があります。 昔から『…

119. 玉津岡神社参道の小野小町塚の傍らにある【下馬石】は、弘法大師の筆跡らしい。

玉津岡神社の参道に面して小野小町の墓と言われる小町塚がある。 その石塔の向かって右横に『下馬』と刻まれた古い石碑がある。 地元では弘法大師(空海)の筆跡とつたえられている。 ※『下馬』=境内へは馬から下りて入るべしと促す意味 『ウワサ』の一覧

120. 『つり禁止』だった大正池は、平成16年から有料で『つり』ができるようになったらしい。

もともと灌漑用として造られた大正池は、安全面から長い間『魚釣り』が禁止されていました。 現在は井手町野外活動センター『大正池グリーンパーク』で申込すると有料で『つり』を楽しめます。 ※この看板は経緯をものがたる大変貴重なものである。『ウワサ』…

121. アサヒグラフ別冊【皇室の名宝】の表紙を飾った日本画は、井手玉川の屏風絵だったらしい。

皇室に伝わる名宝に、日本画で有名な狩野派の大家である狩野探幽(江戸時代)による 六曲一双の屏風絵が、1998年2月15日発行のアサヒグラフ別冊(朝日新聞社)の表紙を飾った。 この作品は『新古今和歌集』に詠まれた二首の歌を題材とした名所歌意図の屏風で…

122. 玉川で電気石(トルマリン)が採れるらしい。

JR玉水駅から東へ約1.7キロの玉川周辺で、電気石(トルマリン)が採れたそうです。 電気石はパワーストーンとしても有名で、水や植物を良好に保つ作用もあるそうです。 古くから玉川が愛されたのは、電気石のパワーが関係するのか・・・・まではわかりませ…

123. 玉津岡神社と高神社の起源は同じ年らしい。

井手の上井手地区にある玉津岡神社と、多賀地区にある高神社は、 ともに欽明天皇元年(540年)よりの歴史を持つ由緒ある神社です。 『ウワサ』の一覧

124. 平安時代、滋賀の多賀大社よりも高神社の格が上だったらしい。

平安時代の延喜式神名帳という全国の神社格付け一覧によると、 滋賀県の多賀大社よりも、井手町多賀の高神社の社格の方が上だったそうです。 しかし、平安時代以後、多賀大社の勢力が増し現在のような立派な神社となられたそうです。 井手町の高神社は江戸時…

125. 『応仁の乱』の時、井手町にも陣がしかれたらしい。

文明17年(1485年)10月、応仁の乱の西軍方、畠山義就派の誉田氏以下河内勢と 古市氏とが、現在の井手町多賀・国道24号線東の『北古市場』『南古市場』に 陣をしいたそうです。 【井手町史四集 P195参照】 『ウワサ』の一覧

126. その昔、井手町で砥石の採掘がおこなわれていたらしい。

井手の東部の山地は、昔から上質の『目無砥石』を産出していたそうです。 農閑期や不作時の貴重な収入源だったそうです。 『ウワサ』の一覧