2009-05-09から1日間の記事一覧

130. 昔の大正池は違う場所にあったらしい。

昭和28年の南山城水害で決壊した旧大正池は、現在の住民グラウンドあたりだったそうです。 また、現在の大正池の場所に『二ノ谷池』という別の名の池があったそうです。 水害後、丈夫な重力ダムが造られ いまや灌漑用として府内有数の貯水量を誇る池となりま…

131. 井手の蛙は昔から有名だったらしい。

蛙を『かえる』『かわづ』『かはづ』と読むが、井手の名物だった蛙は 特に鳴き声が美しかったと言われ、古くから和歌の題材として多くとりあげられました。 この蛙とは今でいうカジカガエルといわれ、南山城水害で全滅してしまいましたが、 近年復活へ向けた…

132. 楠木正成の紋は『菊水』ではなく、『山吹水』だったらしい。

後醍醐天皇の忠臣として有名であり『大楠公』ともよばれた楠木正成は 橘諸兄の末裔であると名のっていたとされます。 一般に楠木正成の旗印は『菊水』と言われていますが、 実は橘氏の紋『山吹水』だとする説があります。 玉津岡神社の神馬に描かれた紋※【山…

133. 井手小学校も多賀小学校も、もともと違う場所にあったらしい。

明治7年、前年に廃寺となったばかりの玉井寺(現玉川保育園)に井手小学校が開校。 同じ頃多賀村でも廃寺西方寺跡地に多賀小学校が開校した。 後の学校制度の変化によって校名や規模を幾度も変え、 最終的に現在地へ落ち着いたそうです。 『ウワサ』の一覧

134. 井手町に、『綴喜郡唯一』の警察署があったらしい。

明治22年(1889)、井手町に綴喜郡で唯一の警察署(井手警察署)が設置され、 府下32署の中で第3位の署員数、場所は現在の井手町役場の場所だったそうです。 他、井手村に駐在所(字南溝・府道の踏切東側付近) 多賀村にも駐在所(字北口・現北部公民館)が…

127. 後醍醐天皇の旧跡『松の下露』は、水害後に移転したらしい。

昭和28年の南山城水害の前、井手から和束への道は 現在の道よりも南方の旧大正池沿いだったそうです。 後醍醐天皇が囚われの身となった地とされるこの旧跡は、 その旧道沿いにあったと言われています。 『ウワサ』の一覧

128. 井手町の山奥に『天狗岩』といわれる大岩があるらしい。

多賀の山奥に、その昔『天狗がいっぷくする場所』といわれた大岩があるそうです。 その岩の上部は畳4畳半ほど、所々に穴があき、いつ行っても水が溜まっており、 『天狗の飲み水』と言う人もおられます。 多賀の山奥には『多賀小字天狗岩』という場所が実在…

129. 井手町の大正池は、京都府景観資産に登録されたらしい。

井手の東方山間部にある大正池とその周辺町有林の計78ヘクタールについて、 平成20年1月24日 京都府景観資産『井手町大正池癒しと交流の空間』として登録されました。 『ウワサ』の一覧