2009-05-11から1日間の記事一覧

137. 井手町の廃寺にあった仏像が木津川市にあるらしい。

井手町では長い歴史の中で、多くの寺社が造られてはなくなりました。 そんな中、巨大寺院『井手寺』の跡地に造られ1800年頃に廃寺となった『蓮台寺』にあったとされる仏像が、 その経緯を示す【奥書(おくがき)】とともに木津川市鹿背山のお寺に伝えられて…

138. 『玉水宿』で明治天皇が休まれたらしい。

江戸時代にはじまった宿駅『玉水宿』は明治の宿駅制度廃止後も栄えたそうです。 明治10年に明治天皇が休憩された玉水宿の旅館『酒太(さかた)』では、 3か月がかりで大改装がおこなわれ天皇が乗馬のままで入れるようしつらえた【黒門』、 廊下やお部屋も特…

139. 西郷隆盛とともに錦江湾へ入水した月照上人のお母さんは井手に住んでいたらしい。

幕末の尊王攘夷派の僧侶として有名な月照上人は、身の危険を感じ ご自分のお母さんを井手玉水の西福寺へ託して活動されたそうです。 改築以前の西福寺本堂の床下には、緊急脱出用と思われる通路が造られていたそうです。 それらを裏付ける記録は『命にかかわ…

140. JR奈良線で最も急な坂が井手町にあるらしい。

JR奈良線(京都⇔奈良)沿線で最も急勾配なのは、 桃山〜六地蔵間と、井手町の山城多賀駅北側の『坂の下踏切〜河原踏切間』の2か所だそうです。 その勾配は、15.2%もあります。 『ウワサ』の一覧

135. 水害の翌年、玉川沿いに京都大学の施設がつくられたらしい。

昭和29年、井手町井手株山の玉川沿いに京都大学防災地殻変動観測拠点が設置されたそうです。 坑道が掘られていたとのことですが、現状はわかりません。 『ウワサ』の一覧

136. 国道24号線の『エノキの大木』は渡し舟の目印だったらしい。

木津川堤の国道脇、井手地区と多賀地区の境界付近にある『エノキの大木』は、 かつて『飯岡の渡し』という渡し舟の目印だったそうです。 その他井手町付近には、南から『藪の渡し』『山本の渡し』『飯岡の渡し』『草内の渡し』と、 古くから多くの渡し舟が行…