2009-09-13から1日間の記事一覧

141. 江戸時代、大和街道の多賀北部に多賀茶屋という場所があったらしい。

江戸時代、各地に宿駅が整備され、長池宿と玉水宿(たまみずのしゅく)の間に 多賀茶屋という休憩所があったそうです。 地元では今もその一帯を多賀茶屋とよんでいます。 『ウワサ』の一覧

142.井手町の人が家康の『伊賀越え』の道案内をしたらしい。

天正8年(1580年)『本能寺の変』のとき徳川家康は、 十数名の少数の伴とともに堺の町を見物していました。 しかし、本能寺で織田信長が命を落としたと聞き、 信長の弔い合戦のため、急ぎ自らの本拠地三河へ わずか二日間で帰ったと言われています。 家康の…