142.井手町の人が家康の『伊賀越え』の道案内をしたらしい。

天正8年(1580年)『本能寺の変』のとき徳川家康は、
十数名の少数の伴とともに堺の町を見物していました。
しかし、本能寺で織田信長が命を落としたと聞き、
信長の弔い合戦のため、急ぎ自らの本拠地三河へ わずか二日間で帰ったと言われています。
家康の人生で最大の危機といわれるこの故事は『伊賀越え』といわれ、
その道中木津川から田原への道案内をした人に多賀村の人の名があります。


『ウワサ』の一覧