2008-05-28から1日間の記事一覧
大正時代、才田山を中心に新四郎山などを開墾して黒竹の栽培が盛んになり、 やがて輸出用のスキー・ストックを生産がはじまり、 昭和に入ると、井手町産の黒竹の釣竿が増え、第二次大戦前までアメリカやフランスに輸出されていたそうです。 『ウワサ』の一覧
明治30年2月、綴喜郡内の地元独立銀行として最初の『玉水銀行』が設立されたそうです。 本店は現在の南都銀行玉水支店の地にあり、 明治34年には玉水銀行田原支店(現宇治田原町)ができたそうです。 『ウワサ』の一覧
この地におけるミカン栽培の起源は橘諸兄の時代という説がありますが、 江戸時代に多賀村がミカンの産地であったとされます。 明治18年の地図によると、井手村では井手山山腹から玉川南側の株山山麓、 多賀村では山の南西斜面から山頂付近までミカンが植えら…
そもそも天井川は、川床を上昇させる土砂が多量に供給される河川に多く見られるが、 江戸時代までは、村の人々の力で 土砂を取り除く作業が行われていたため それほど大きくならなかったそうです。 しかし、明治維新以後 農村の共同作業の慣行がなくなり、さ…
井手町には4つの天井川(青谷川・南谷川・玉川・渋川)があり、 その内3つの川の下を鉄道(JR奈良線)が通っている。 井手町以南の木津川流域の人々には当たり前の光景だが、 全国的に、かなり珍しいものらしい。 『ウワサ』の一覧
明治29年(1896年)、奈良鉄道株式会社により京都〜奈良間(現JR奈良線)が開通し、 玉水駅前は商店が立ちならぶ南山城唯一の商店街として発展していった。 昭和10年(1935年)ごろには、酒場・カフェー・玉突き場・喫茶店などもあらわれ、 玉水橋を渡って…
井手町史によると、【タカ:TAKA】と読むのが正しく、国鉄(現JR)の山城多賀【ヤマシロタガ:・・・・TAGA】は誤りであるとされている。 町史には、【至急、正しい呼び方の『タカ』(TAKA)に改正する必要がある。】と書かれている。
平安時代の辞書である『和名抄』(和名類聚抄)に、綴喜郡【多河郷】の地名が書かれている。 現在の多賀の地名は、古くは 高・多河・多賀などと書かれていた。 『ウワサ』の一覧