2009-01-01から1年間の記事一覧
後醍醐天皇の忠臣として有名であり『大楠公』ともよばれた楠木正成は 橘諸兄の末裔であると名のっていたとされます。 一般に楠木正成の旗印は『菊水』と言われていますが、 実は橘氏の紋『山吹水』だとする説があります。 玉津岡神社の神馬に描かれた紋※【山…
明治7年、前年に廃寺となったばかりの玉井寺(現玉川保育園)に井手小学校が開校。 同じ頃多賀村でも廃寺西方寺跡地に多賀小学校が開校した。 後の学校制度の変化によって校名や規模を幾度も変え、 最終的に現在地へ落ち着いたそうです。 『ウワサ』の一覧
明治22年(1889)、井手町に綴喜郡で唯一の警察署(井手警察署)が設置され、 府下32署の中で第3位の署員数、場所は現在の井手町役場の場所だったそうです。 他、井手村に駐在所(字南溝・府道の踏切東側付近) 多賀村にも駐在所(字北口・現北部公民館)が…
昭和28年の南山城水害の前、井手から和束への道は 現在の道よりも南方の旧大正池沿いだったそうです。 後醍醐天皇が囚われの身となった地とされるこの旧跡は、 その旧道沿いにあったと言われています。 『ウワサ』の一覧
多賀の山奥に、その昔『天狗がいっぷくする場所』といわれた大岩があるそうです。 その岩の上部は畳4畳半ほど、所々に穴があき、いつ行っても水が溜まっており、 『天狗の飲み水』と言う人もおられます。 多賀の山奥には『多賀小字天狗岩』という場所が実在…
井手の東方山間部にある大正池とその周辺町有林の計78ヘクタールについて、 平成20年1月24日 京都府景観資産『井手町大正池癒しと交流の空間』として登録されました。 『ウワサ』の一覧
『井手』という字は古く、奈良時代から見られ、 『井堤』と言う字は、江戸時代以降に見られるらしい。 また、井手寺の事を円堤寺と書かれた時代があったが、 その読み方は『井デ寺』と振り仮名が打たれた国宝の古文書(東寺所蔵)の中から見つかったことによ…
大変難しい字ですが、このように書いて『やまぶき』と読むそうです。 特に『一重の山吹』を意味する字だそうです。 井手町にある『やまぶきの石碑』には、この漢字で刻まれています。 他にも『やまぶき』を意味し『やまぶき』と読む字があります。 昔から『…
玉津岡神社の参道に面して小野小町の墓と言われる小町塚がある。 その石塔の向かって右横に『下馬』と刻まれた古い石碑がある。 地元では弘法大師(空海)の筆跡とつたえられている。 ※『下馬』=境内へは馬から下りて入るべしと促す意味 『ウワサ』の一覧
もともと灌漑用として造られた大正池は、安全面から長い間『魚釣り』が禁止されていました。 現在は井手町野外活動センター『大正池グリーンパーク』で申込すると有料で『つり』を楽しめます。 ※この看板は経緯をものがたる大変貴重なものである。『ウワサ』…
皇室に伝わる名宝に、日本画で有名な狩野派の大家である狩野探幽(江戸時代)による 六曲一双の屏風絵が、1998年2月15日発行のアサヒグラフ別冊(朝日新聞社)の表紙を飾った。 この作品は『新古今和歌集』に詠まれた二首の歌を題材とした名所歌意図の屏風で…
JR玉水駅から東へ約1.7キロの玉川周辺で、電気石(トルマリン)が採れたそうです。 電気石はパワーストーンとしても有名で、水や植物を良好に保つ作用もあるそうです。 古くから玉川が愛されたのは、電気石のパワーが関係するのか・・・・まではわかりませ…
井手の上井手地区にある玉津岡神社と、多賀地区にある高神社は、 ともに欽明天皇元年(540年)よりの歴史を持つ由緒ある神社です。 『ウワサ』の一覧
平安時代の延喜式神名帳という全国の神社格付け一覧によると、 滋賀県の多賀大社よりも、井手町多賀の高神社の社格の方が上だったそうです。 しかし、平安時代以後、多賀大社の勢力が増し現在のような立派な神社となられたそうです。 井手町の高神社は江戸時…
文明17年(1485年)10月、応仁の乱の西軍方、畠山義就派の誉田氏以下河内勢と 古市氏とが、現在の井手町多賀・国道24号線東の『北古市場』『南古市場』に 陣をしいたそうです。 【井手町史四集 P195参照】 『ウワサ』の一覧
井手の東部の山地は、昔から上質の『目無砥石』を産出していたそうです。 農閑期や不作時の貴重な収入源だったそうです。 『ウワサ』の一覧